SSブログ

6月23日。 [感じたこと]

梅雨が明けました。
久々に青空を見ることができて嬉しい反面、
毎日毎日、肌に刺さる強い陽射しに眩暈がしそうです(泣
すでに日焼けしたように感じる今日この頃。。。

さて、そんな中今年も6月23日という日が過ぎてしまいました。

6月23日。

皆さんは、この日が何の日かわかりますか?


6月23日。

この日は「慰霊(いれい)の日」。

沖縄戦が終わりを迎えた日です。
沖縄でこの日は毎年公休日扱いとなり、小中高大はもちろん、職種によっては会社もお休みになります。

61年前のこの日も、沖縄はこんな青空を見せていたのでしょうか。

今、この沖縄という地であたしは生きています。
けれど、61年前のこの地は荒れ果てた戦場だったといいます。
全く想像がつきません。
今、平和に暮らしているあたしの家が建っている場所でも、きっとたくさんの爆撃があり、たくさんの銃撃戦があり・・・・・・。そして、たくさんの命が奪われ、彼らの死体が山のようにあったのでしょう。

沖縄では、毎年6月23日が近づくとどの学校でも平和教育がなされます。
あたしも小中高とその教育を受けてきました。
例えば、図書館には戦争関連の本がたくさん紹介され、衝撃的な写真が並べられ、沖縄がどのような被害を受けたのかの話がなされます。給食時間には、「はだしのゲン」のアニメが流され、広島原爆の悲惨さを教えられます。

しかし、はっきり言って印象に残るのは残酷な写真や映像のみで、戦争に対するあたし自身の考えというのは養われてなかったように思います。

「戦争=ダメなもの」

それは理解できました。
では、どうしてそんなダメなものが起こったんだろう。
沖縄はどれだけ酷いことをされてきたんだろう。
恥ずかしながら大学に入るまで、そういうことを真剣に考えることをしてきませんでした。
確かに、小学校や中学・高校でもそのような考えを作文にして書かされた記憶があります。しかし、「書かされた」という意識のままで、自ら進んでそのことについて考えたことはなかったのです。

あたしの両親も戦争未体験者です。
そんな中で育ち、周りからどんなに戦争が「悲惨だ」「残酷だ」と言われても、実際の経験をしていない者にとっては具体的にどう悲惨なのか、どう残酷なのか、理解するのは難しいと思います。

あたしは自分の祖母が戦争体験者ということを大学3年の時に知りました。

今更ながら、自分のこの戦争に対する無関心さに腹が立って仕方がありません。祖母の年齢からして沖縄戦を体験していることは明白なのですが、祖母自身の口からその話を聞いたことがなかったため、あまり考えたことがなかったのです。
祖母自身の口からその体験を聴く機会があり、初めて祖母が戦争でどのような体験をしてきたのかを知りました。話を聴く間、緊張で動悸が早くなり、祖母やその家族がどれだけの恐怖を感じたのか・・・ほんの少し、本当にほんの少しだけあたしも感じることができたように思いました。

これがあたしが戦争について初めて自ら知りたいと思ったきっかけでした。

あまりにも遅すぎる。なんであたしは今まで自分から知りたいって思わなかったんだろうか。すごく、悔しい思いをしたのを覚えています。

沖縄の糸満市に「ひめゆりの塔」という場所があります。「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる女学生部隊の御霊が祭られています。彼女たちの体験は吉永さゆり主演で映画化されたこともあり、沖縄だけではなく全国にその名が知られていると思います。
しかし、学徒隊は「ひめゆり」だけではありません。
あたしの住む町には「白梅学徒隊」という部隊の壕があります。この部隊は「ひめゆり」に比べ知名度は低く、沖縄の人でさえもあまり知りません。他にもたくさんの学徒隊は存在しています。
あたしは祖母の話を聴いてから、友人たちとその「白梅」や「ひめゆり」の壕を巡ったり、ひめゆりの塔や平和資料記念館を訪れたりしました。
そこには、「ひめゆり」の生存者が語り手として話を聞かせてくれる場所と、「ひめゆり」として活躍した女学生の顔写真と彼女たちがどう生きたのかという記録がありました。
改めて、この沖縄の地でどのような悲劇が起こったのか。やっとそれが自分の中で消化できたように思いました。

平成7年に「平和の礎」が建設され、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった人の名前が刻銘されました。それには、あたしの父方、母方、両方の曾祖父の名前も刻まれています。ドライブがてら友人とそこへ行ったことがあります。平日にも関わらず、そこには知り合いの名前を探す人、探した名前を指でなぞる人、その周辺を掃除する人と、多くの人がいました。
そこは静かな時間が流れていました。

戦争が終結して、今年で61年。

ここ沖縄は、一見平和のように見えます。

しかし、現在も戦争は続いていると主張する人もいます。

 

平成16年8月13日。
あたしの通っていた大学に米軍ヘリ墜落事故が起こりました。
あたしはその日、そこにいました。
3回の爆発音、もくもくと空に舞い上がる黒煙。
米軍に規制される警察と消防。
その日から数日間、あたしの大学は米軍基地の一部になりました。

今年、あんなに県民が反対していた
普天間基地の名護市辺野古沖移設が決定しました。
県や名護市が出した案とは全くかけ離れた政府の案が採用されました。
名護市長も県知事も最初の発言はどこに行ってしまったのか。
県民の期待は大きく裏切られました。

 

沖縄に起こっているこの現状を全国のどれだけの人が知っているのでしょう。

沖縄は、まだ戦場であるのかもしれません。

6月23日、慰霊の日。

この日を沖縄だけの日にはしないでほしい。

そんなことを思った、今年の慰霊の日。。。

 

参考URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060624-00000004-nnp-kyu
       http://www.h2.dion.ne.jp/~uehara86/page121.html
       http://www.topics.or.jp/Old_news/s060513.html


長々と記事を読んでくださってありがとうございます。
書き始めるとなかなかまとまらず、こんなに長くなってしまいました。

あたし国語の先生目指してるのに、これでいいのか(´-ω-`;)ゞポリポリ

さて、こんなマジメな記事ですが、おそらくこの記事でキリ番1000niceを踏む方がいらっしゃると思います。
踏まれた方は、報告してくださいね♪粗品をお贈りさせていただきますので☆

では、どーぞよろしくでーすヽ(・∀・人・∀・)ノ


nice!(15)  コメント(17)  トラックバック(4) 
共通テーマ:地域

nice! 15

コメント 17

Betty-A-Sateau

この記事に、出会えてよかったです。ありがとう。
私は、自分の無知や無関心さに、今情けなささい感じてます。

高校の時、修学旅行で4コースどれか選択できたので、「広島」コースを選びました。その時連れて行かれるままに行った「原爆資料館」(名称違ってたらスミマセン)で、被爆者のお話を聞き、写真やその時に残っていたもの、特に時間の止まった時計・・・すごく印象がありました。
修学旅行の写真で、笑っていない写真は、そのあとに友達と撮ってもらったもの1枚でした。

なんか、長々とまとまらなくて、ゴメンナサイ。
どうか沖縄が、全国が、世界が平和になりますように・・・
by Betty-A-Sateau (2006-06-24 21:08) 

はるるん

そうですね。私も沖縄の戦争は映画や本でしか
知らないので、酷いとか可愛そうだったんだぐらいの
理解でした。
いつだったか、テレビで女性の方が崖から海に
自分で飛び込む映像を見た時にショックでしたね。
どんなに怖くて、どんな事を思って飛び込んだのか。
捕まるよりいいと思ったのでしょうか。
各地でまだ戦争をしてる所もあるし
戦争後の問題でもめたり。
平和であって欲しいですよね。
by はるるん (2006-06-24 22:33) 

dan

慰霊の日。
沖縄に行って、学校が休みだということでびっくりしました。
今、沖縄は日本だと言われている。 戦争は共に痛みを伴ったという。
でも、この日を知らない本土の人はあまりにも多い気がする。
すこし複雑な気持ちになる日です。

1000niceを踏みたかったが、僕には不可能(>_<)
悔しい!!!!!!(笑)
by dan (2006-06-24 22:51) 

Betty-A-Sateau

↑ちょうど1000nice!目に押せるはずだったdanさんへ。
1000nice!押させていただきました。
この記事に押した私のnice!は998nice!だったので、1000nice!はdanさんへ(^-^)/
by Betty-A-Sateau (2006-06-24 23:13) 

reo*

私の祖父は沖縄の出身です。
戦地へも行った事があり、
私は小さな頃から話しを聞いてきました。
戦争という世界の中で、
人 がどうなっていくのか、
国 というものの在り方とは何か、、
たくさんの事を考えさせられました。

祖父も「未だ沖縄では何も終わっていない」と言いますよ。

命や平和を語る事は簡単な事かもしれない・・・
だけど、本当にその問題を気付いて、真に受け止めて、
自分の中で消化できなければ、、、何も変わらないと思います。
私も@ai@さんの記事に出会えて良かったです。
長いうえに まとまってなくてすみません…(-_-||)
by reo* (2006-06-25 02:43) 

ぱんだぞう

戦争・・・。父が少しだけ覚えていましたよ。今70歳ですけどね。
母は、まだ小さすぎて何も覚えていないそうです。

ただ、田舎の人間ですから、沖縄の方々よりは全然戦争を実感してるわけではく、食べ物がどうだったとか、学校がどうだったとか、そんな話しか聞けませんでした。

これだけ長い年月をかけても戦争は無くならない。
そんなに平和って難しいのでしょうか。
by ぱんだぞう (2006-06-25 10:25) 

ぶらっくしゅがー

61年前の6月23日はどんな空だったんだろう。
戦闘機がたくさん飛んでいる空だったのだろうか。
今年の6月23日も米軍の戦闘機は飛んでいる。
戦闘機の飛ばない、本当のきれいな青い空はいつやってくるのでしょうか。。
by ぶらっくしゅがー (2006-06-25 16:16) 

JOY

◎ai◎さん、この記事に出会えて私もよかったです。
本当にありがとうございます。
戦争の話、語り継いでいかなくてはならないですよね。でも経験談としての知識はなくて、本や映像で知ったことばかりですが。。それでも何故人間はこういうことがやめられないんだろう・・・と毎日ニュースを見ていて哀しくなります。
「平和の礎」、ニュースで見ました。なにより国籍を問わず名前が記されているということに感銘を受けました。「慰霊の日」、沖縄だけのものではないですよね!きっと平和は世界中の願いのはず。。
by JOY (2006-06-25 19:52) 

コバ

おいらね。
その当時ね。
国を守る為。
愛する人を守る為。

に戦った人達の愛を感じるのだ。
感謝の気持ちを持ってね。
身近な人と人の争いも、ちっちゃな戦争だと思うけどね。

なんちゃってー (σ゚Д゚)σ
by コバ (2006-06-26 00:26) 

(。・_・。)2k

1000nice(*^^)//。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆オメデトォ
なんか考えさせられる記事でした
平和な今の時代に生まれてなんとなく生活していますが
立ち止まって振り返る機会を与えてもらって感謝します。
by (。・_・。)2k (2006-06-26 13:22) 

harukiyoshii

今の今まで、知りませんでした。
知らないことを、
知らせてもらえることが、
大きな一歩かもしれませんね。
by harukiyoshii (2006-06-27 01:29) 

◎ai◎

◎皆さんへ◎
この記事に出逢えて良かったと言ってくださることで、
書いて良かったと心から思います。
少しでも早く沖縄の現状が変わっていきますように。
早く世界に本当の平和が訪れますように。。
あたしからも皆さんに「ありがとう」です。

◎Bettyさん◎
あたしは記事の中で「気づくのが遅すぎる」と表現しましたが、
遅くても気づいたことはいいことかなと思うようになりました。
そして、あたしがこの記事を書くことで、Bettyさんを始め、
たくさんのヒトが何かを感じてくれたらいいなと。。そう思います。

◎はるるんさん◎
あたしの祖母ももしかしたら、
崖から飛び降りた1人だったかもしれません。
そう考えると怖くて怖くて仕方ありません。
だから、今、あたしが生きていることを、祖母や戦争の中を
一生懸命生きてきたヒトに、感謝しなければならないんだと思います。

◎danちゃん◎
そう。沖縄は日本なんだよ。
でもね、やっぱり本土に比べると沖縄が外国のように扱われてる
気がしてならない。そこに悲しさを感じるよ。
同じ日本なんだけど、この違いはどこから生まれたんだろうね。

さて、1000niceはあなたのものらしいよ♪
Bettyさんに感謝だー!笑
てことで、PCアドにメールちょーだいな☆

◎再びBettyさん◎
1000nice踏んでいただいて、ありがとうございます♪
しかも、danちゃんのために・・・☆
なんか、その行動がすごく嬉しかったので、
今回のキリ番はdanちゃんとBettyさんのお2人に差し上げまーす♪
てことで、あたしのプロフのPCアドにメールくださいな☆

◎reo*さん◎
reo*さんのおじいさまも沖縄戦の体験者なんですね。
父方の祖父も戦地へ赴き、そこで負傷して義眼になりました。
義眼ということは聞いていても、幼いころは
それがどういうことなのか、あたしはよくわからなかったんですよね。
幼いころから、その話を聴いていろいろ考えていたreo*さんを
尊敬します。
うん。語るのは簡単。では、どうやってこれからの子どもたちの心に
伝えていけばいいんでしょうね。。そこを考えなきゃ。

◎ぱんだぞうママ◎
うん。61年経っても沖縄ではたくさんの問題が残っている。
今でもね、戦時中の遺品や遺骨が見つかったりするんだよ。
こんなに長い月日が経ってもまだ、見つかってないヒトもいる。
それなのに、世界のどこかではまだ戦争が起こっている。
小さい子ども、お年寄り、病人、、、、。
逃げられないヒトたちは死ぬしかないのかな。
そんなことが当たり前のように起こる現実。。悲しいよ。。

◎ぶらっくしゅがーさん◎
「米軍が沖縄から撤退したら沖縄に平和はないぞ。」
「沖縄は米軍が守ってやってるんだ。」
そう言われている沖縄の現実。
でも、このままではいつあの墜落事故が再発するかわからない。
問題は山積み。あたしたちのできることはなんだろう。。

◎JOYさん◎
いつも思うことです。
慰霊の日ってどうして沖縄だけなんだろう。
「沖縄戦が終わった日だからだよ」という説明で納得してた自分が
恥ずかしい。沖縄も日本のひとつのはずなのに。。
広島や長崎の原爆も同じように。。
同じ日本人として考えて欲しいな。。。

◎コバ兄貴◎
確かに、戦った人たちは勇気を持って一生懸命、
それこそ体当たりでぶつかっていったんですから、
あたしたちは、感謝しなければならないですよね♪
彼らがいなければ、今のあたしたちの生活はなかったんですもの。

◎2kさん◎
お祝いのお言葉ありがとうございます♪
あたしもなーんとなく生きてきました。
そのなんとなくの生活の中で、考えなければならないなって
思った出来事が、祖母の体験談でした。
あたしの記事でそゆ風に言ってもらえて嬉しいです♪

◎吉井さん◎
今の今まで知らなかったヒトに伝えることができたことを
素直に嬉しく思いました。
まだまだ、知らないヒトはたくさんいるだろうけど、
少しでも、このことを知ってもらえたら・・・。
小さな一歩の始まりでも、いいから・・・・・。

◎彩ね。さん◎niceありがとうございました♪
by ◎ai◎ (2006-06-27 03:55) 

jeryl

与えられる知識と、自分から求める知識って、違いますよね。
「知る」努力って大事だと思うし、それで得た知識ってすごく密度が高い。
そんな事を思ってみました。

この4枚の写真は、
純粋に「綺麗だ」と思いました。
by jeryl (2006-06-28 00:33) 

JOY

私も「考えていかなければいけない・・・」と思うこと、記事にしました。
それは戦争のことではなくて、環境のことなんだけど。。つきつめれば
人間のことなのかも・・・と思って。。
TBさせてください。
by JOY (2006-06-28 16:15) 

◎ai◎

◎jerylさん◎
jerylさんの言うとおりですね。
自分から「知る」という行動をしたほうが、
「与えられた」知識よりも密度も内容も濃い。
だからこそ、興味を持ったことには
人間集中力が続くんでしょうけどね。

写真お褒め頂き、ありがとうございます♪
これ、うちの家のすぐ近くで撮ったものばかりです☆
実は、あたしの家も写り込んでいたりして・・・笑

◎JOYさん◎
戦争であっても、環境であっても、
人間が生きているからこそ、起こる問題でもありますよね。
JOYさんの記事も読ませていただきました。
とても、興味深いものでした♪
TBありがとうございます!
by ◎ai◎ (2006-06-30 16:29) 

はにぃ

はにぃは 今
『日の丸・君が代問題』と『愛国心教育』の
強制と 闘っています。
by はにぃ (2006-07-01 01:40) 

◎ai◎

◎はにぃさん◎
どちらも、強く関心がある問題です。
というか、関心を持たなければならないですよね。
あたしも一緒に闘うために、いろいろな知識を身につけなきゃな。。
by ◎ai◎ (2006-07-04 23:28) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 4

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。